落とし物は何ですか



先日、免許証を落としました。

オレという人間は、手に何かを持つとかなりの高確率で紛失します。させます。
以前、入学式後にもらった花束と部活用のジャージ一式すべて電車内にプレゼントしたこともあります。傘なんて紛失するのが目に見えているので、1,000円以上する傘を買ったことがありません。
とにかく家を出る時よりも身軽になって帰ってくることなんて
ざらにあるのです。


   



ですから、必然的にバッグを持てばバッグごと忘れてしまうこともわかりきっているので、肩に掛けるタイプのバッグを愛用しています。これなら盗まれない限りは大丈夫。


       

「とにかく手に何かを持たない」
これだけは自分でも気をつけて実践している対処方法だったのですが、今回の免許証紛失はちょっとケースが違いました。



前日、酒を飲む機会があり、帰り道は友人に送ってもらったことがありました。

群馬県は車がないとどこにも行けない地域のため、必要に迫られ駐車した場所まで即日取りに行かなければなりません。家の者はお出かけ中。乗り物はチューブの外れた自転車と、丸々と太った犬しかありません。
天気も良いし、距離は5q程度なので自力で走って取りに行くこととしました。

しかし、これが悪かった。

ジャージに着替え、ポケットに免許証といくばくかの金を入れると、前日の酒を残した重い足を引きづりながらに走り出しました。


1時間後、車で家に戻ると妹が電話を持って走り出してきました。
「お兄ちゃん、免許証落としたでしょう?拾ってくれた人から電話入っとるよ。」


何をバカな。オレのジャージには「チャック」という素晴らしい文明の利器、いやさオーバーテクノロジーの粋を集めたものがついておるのだよ、免許証はおろか猫の子一匹通しませんよ、と得意満面な顔で返答しながらポケットに手を突っ込むと、入ってるいるはずの免許証の代わりに異変を発見。



       


オレのポケットはこんなに広かったか?オレのポケットはこんなに深かったか?
オレのポケットは青い耳のない猫と同様のものだったか?
オレのポケットはビスケット入れて叩くと2つにも4つにもなる新製品だったか?




試しに手近にあったカードを疑惑のポケットに入れてみました。


        


2秒後には足の裾からチョロリと顔を覗かせるカード。もう一回入れると気持ちよいくらいにスルーッと足の裾から出てきやがる。

うん、ポケットにでっかい穴あいてた。



急いで電話と取ると、お礼を言いながらその場所を伺いました。

場所は自宅からわずか数百メートル。逆に言えば、よくぞそこまで落ちなかった!と変なところで感心してしまうほどの距離です。
発見者は犬の散歩中にオレの免許証を広い、住所がえらく近所なことから電話帳で調べて電話をくれたということのようです。


さっそく取るものも取らずに現場へ走っていきました。

現場とおぼしき場所には身なりの良い初老の男性が犬を連れて待っていました。

さっそくお礼を述べ、免許証を受け取りました。この証明写真の下に賞金額をつけるとしっくりくる人相の悪さはオレの免許証に間違いはありません。
にしても、免許証を落とすとなるとそれはもう七面倒くさい手続きが山とあったのでしょうが、それらが免除されたことにホッと安堵のため息を漏らしました。
この感謝の気持ちを表現したいのは山々ですが、現在所持しているものは、さきほどポケットに入れた通院カードと、噛み終えたガム入り包み紙しかありません。それらをもらって喜んでくれるのはポキール星人(排泄物をもらうと喜ぶ星の人)くらいのもんでしょう。

仕方ないのでひとしきりお礼を述べ、現場を去ろうとすると男性が引き留めにかかります。あれ?ガムの包み紙をご所望ですか?


そんなわけもなく、初老の男性は見つけた時のことを話しはじめました。

「昨日から、ここに何かカードみたいなものが落ちてるなぁと思ってたんだよねぇ、犬の散歩中に。それで今日も同じところを見たら、そこの脇に免許証が落ちてたんだよね。」そう言いながら側溝、つまりドブを指さす男性。

確かに、ドブを覗き込むと何か白いカード状のものが落ちているのが見えます。しかし水の濁り具合からそれが何なのか判別できません。

そして、男性はそのカードは君のものかもしれないから確認した方が良い、と申されておるのです。

しかし、免許証を落としたのは今朝方であって昨日ではありません。ですから、それはオレのものではありません、ときっぱり伝えたのですが、「見た方がいいよ、確認した方がいいよ」と、なかなか引き下がってはくれません。

しかし、そのドブの澱みっぷりがまたひどく、ミミズですら死んでるわけですよ。そんな毒液に素手を突っ込むのは誰だって気が引けます。そういうことを喜んでするのはポキール星人(排泄物をもらうと喜ぶ星の人)か、毒手拳を極めようとする武術家くらいのものだと思うのです。

そういう気持ちを汲んでくれれば良いのに、初老の男性はまったく意に介してくれません。終いには犬も吠え始め、鳴き声すらその後押しに聞こえます。


   



確認しないことには帰れそうにないと腹をくくり、ドブの縁に手をかけると、もう片方の手を澱みの中に入れました。ヌメリとした手触りが気味悪く、カードを手にするや否や、すぐさま水中から手を抜き出しました。


底に落ちていたカードは紙製で多少へたっていたものの、そこに書いてある字ははっきりと確認することができました。







本当にいらないところでミラクルが起こりやがる。






   


それは、現場からわずか数百メートルしか離れていない風俗店の名刺でした。女性の名前と「また来てね!」と手書きで書かれた文字はいまだ色褪せず、後世に伝えられるくらいにはっきりとオレ達の目に飛び込みました。この名刺が水性で書かれていたならどれだけ良かったことか。どれだけの人が涙を飲まずに済んだことか。


このままではまるで、本当はこの名刺がオレの所有物で、見せるに見せられずにここまで引っ張ってしまったかのようなシチュエーションではないですか。

「いやいやいや、ち、違うんですよ!」と、全否定しようと目線を名刺から初老の男性と犬に移すと、そこには明らかな侮蔑の表情が見て取れました。

「このスケベ野郎!」

「こんな近所でも人目をはばからずそういうとこ行くのか!?」


    


口にこそ出さないまでも、そんな罵詈雑言が犬の黒目から伝わってきます。まともに彼らの視線を受け止めることができませんでした。


あと数回も手を突っ込むことができたなら、かすり傷で象をも倒せる毒手拳が完成するであろうドブ川に手を突っ込みんだ成果がこれです。だから違うって言ったのに。


免許証を落として、近所の評判と人間の尊厳を落としました。


(完)