(2004.1102)



心の闇




文章を書いているときにどうにも思い出せない漢字が出てくることがあります。そんな時、たまにですが辞書を引きます。

パソコンが日常生活に浸透して以来、オレの漢字を書く能力は下がりっぱなし下がっています。そんな思いをしているのはオレだけではないでしょうけども。辞書を引くよりパソコンで調べた方が早いのでしょうが、いつもブラウザを立ち上げてるわけではありませんし、非常にローテクな手法ではありますが「辞書で調べる」ということを選択するのです。



その日、オレは「石鹸」という字が書けず辞書を手に取りました。別に「石けん」でも問題はありませんが、なんとなく格好良いではないですか。漢字で書けてると。

そしてパラパラとページをめくり、目的の言葉を探します。
んー・・・・
しばらく辞書をいじることもなかったせいか、目的のページが全然見つからない。まったく見つからない。これは久しぶりだからというレベルではない。これが小学校の国語の授業ならクラスで一番ビリなくらい調べるのが遅いはず。



そして見つからない理由がわかりました。
オレの辞書にそんな文字は存在しないからです。





つまり、そのページがキレイに破り取られており、見つからないって言うか故意にその存在を抹消されていたためです。正確には辞書の「せっ〜」に続く言葉がこの辞書には存在しないのです。

いったいそこにどのような意図があってページが欠落しているのか?オレ自身で破いたものではありませんし、その意味はわかりません。しばらくその意味を考えてみることにしました。


何でオレの辞書には「せっ〜」から続く言葉欠落しているのだろう。そうこうするうちに忘れかけていた古い記憶が呼び起こされました。





それは高校時代の話でした。


オレの同級生にAという男がいました。Aはちょっと神経質なヤツでして、お年玉を30万円もらったとか豪語することで皆に嫌われるようなタイプの人間でした。しかし、それ意外は至って普通。むしろ生真面目なタイプだったと記憶しています。


そんなAがある日、オレにこう言いました。
「辞書を貸してくれ」と。
この時分、辞書の貸し借りなんて日常茶飯事でこの言葉に対しても何ら気にかかることもありませんでしたし、オレはAに国語辞書を手渡しました。

しかし、その日のうちにAは辞書を返してくれませんでした。そして、その次の日も同様に返してくれません。次の日もその次の日も。
いくら勉強大嫌いのオレでもこうまで辞書がないと不便でしかたありません。さすがに痺れを切らしたオレはAに問いつめました、辞書を返してくれと。


しかし、Aは首を縦に振りませんでした。
「まだ使ってるからと」と言い一向に返却する意思を見せません。いやいや自分の持ってんだろ?とツッコミを入れても「またまた〜」とかオバチャンみたいな口調で、まったく取り合ってくれません。意味がわからない。

納得いかないのは当然ですが、奪い返そうにも辞書が見あたらないのです。どうやらAはオレの見えないところに辞書を隠しているようなのです。なぜそんなことするのかわからないし、そこまで頑なに拒否し続ける彼の姿勢に甚だ疑問を感じずにはいられませんでした。



いったいオレの辞書に何が起こってるんだろう?

疑問への問いはそれから数日後にわかることとなります。
ある日、少し早めに部室へと向かったオレは、同じ部活に所属していたAのロッカーから辞書がはみ出していることに気づいたのです。




間違いなく辞書に「ケイスケ」って書いてある。どんぴしゃオレのやん!いったいコイツは「まだ使ってる」とか言ってたくせにこんなとこに隠してやがったのか。何を思って後生大事にロッカーへしまい込んでいるのかさっぱりわからない。

その時はそれしかわかりませんでした。ただ辞書がオレの手元に帰ってきた。それだけで十分でした。それ以上に何を求めるのと言うのでしょう。



さらにその数日後の授業中のことでした。意味のわからない言葉があったため、当たり前のように辞書を開きました。

ん?パラパラとめくるうちに蛍光ピンク色のマーカーラインが引いてあるページあったことに気づきました。
おかしいな。オレは辞書に付箋はしてもわざわざ蛍光ラインなんか引くことはしません。さてはAのヤツ人の辞書に勝手にライン引きやがったな。あとで文句言ってやろうと思い、もう一度その箇所を確かめるためにその付近のページを慎重にめくってみました。








そしてその数秒後に見なければ良かったと後悔することとなったのです。




ちぶさ 【乳房】

外分泌腺の一。哺乳類の胸・腹部の左右に対をなしてある。雌では乳腺や皮下組織が発達して隆起し、哺乳期には乳汁を分泌する。おっぱい。にゅうぼう。







愕然とした。

「乳房」に引かれたアンダーラインのピンク色がやたらに眩しく見えたのは今でも覚えています。本当は立ちくらみした。目が潰れるかと思った。

いやいや中学生の頃にバカな連中とそんな単語を探しあっては騒いだりしてましたよ、オレも。
「目をつぶって適当に開いたページにエロに関する言葉があったヤツはエロな!」とかそんな他愛もないゲームをやってましたよ。ちなみにいつもオレはエロでした。
でも、それは数人でのおふざけであり、実際に「エロは悪ではない」と公言していたようなヤツらばかりだったため、みんなの前で大っぴらにやるようゲームでした。「はい、エロー!!」みたいなノリで。



しかし、今この前にある『アンダーライン乳房』はワケが違います。いやさケタが違う。

普段、周りでの会話がエロい話に転化しそうになると耳をふさぎ「あー!!」とか言うようなA。
誰よりも下ネタを嫌い、聞こえるような声で話すととてつもなく難色を示し部屋を出て行こうとさえするほどにエロを拒絶してきた男、A。


そんな彼が一人でひっそりと書いたと思われる『アンダーライン乳房』は悪ふざけとしてはあまりにも稚拙で、あまりにもキモいものでした。
何つーの、こうドロッとしたものが胸のあたりに渦巻く感じ。

ショックのあまり、その日の授業のほとんどはオレの耳に入ってくることはありませんでした。
そして、残り時間のほとんどを他にラインが引いてないかどうかに割いた結果、他にも数カ所のアンダーラインが確認されました。

そのすべてが一般的に口に出すと「この年中発情期野郎が!」とか「半径3M以内に近寄ると自動的に妊娠する」とか「しかも全部双子!」とか「しかも認知しない!」とかそんな罵声を浴びせられるに違いないものばかり。少子化時代を打破してやろうか!


さらには「せい〜」と「せっ〜」に続くページが強引に破り取られていました。強引にもほどがある。本当にキモイ。



こんなの見せられた日には、怒る気力すら一瞬のうちに吹き飛びます。むしろこの話題には触れずにおこう、オレの心のうちにそっとしまっておこうと思わずにはいられませんでした。それほどにショックがでかかった。


とにかく今はこの辞書の処遇をどうするかということで頭がいっぱいです。この病的にコスメティックされた辞書をクラスメイトに晒すことになった暁には、残りの高校生活を絶え間ない言葉責めで彩られること受けあい。ドMの人がいたらこの辞書を譲ってやりたい。そしたら毎日が気持ち良くってしかたないと思うよ!

となりの子に「辞書見せて」とか言われたら、人類が到達できる最速の速度で辞書のページというページを瞬間接着してやる。
そんな衝動に駆られながらも、そっとバッグに忍ばせ家に持ち帰りました。そして、その後この辞書が二度と学校に持ち込まれることはありませんでした。

そして、Aともそんなこともあったせいか何となくつき合いづらくなり、卒業してから一度も連絡を取り合ってはいません。




人の心には闇があります。普段見えている表情や行動はアクマでその人の一面であり、それでその人のすべてをわかったことになりません。どんなに深くつき合ったとしても、その闇のすべてを受け入れることはできないかも知れないし、知らない方がよかったこともあるのかもしれません。


今回の経験を通してわかったことは、いや知りたくもなかったことは

「Aは極度のムッツリスケベ」

いや、もっととんでもない隠し球を持っていたのかもしれない。しかし、既に疎遠となってしまった現在それ以上のことを知る機会はありません。こうして懐かしくも思い描くことしかできないのです。
一体彼は何を思い、何を考え蛍光ペンなんか引いたんだろう。しかも人の辞書に。


そんなことを破れた「せっ」のページを見ながら思い出していました。本当は別に思い出したくもなかった。
しかし、こうして一つのテキストに出来たことは嬉しく思おう。オレの思い出薄れてしまう前にこういう恥ずかしい出来事はどんどんテキスト化してしまおう、そう思いました。





そして、結局わからず終いだった「石鹸」という字を携帯で調べ直そうかと辞書を閉じる瞬間、一枚の紙切れがヒラリと足下に落ちました。






























見るんじゃなかった。